思い悩むな

 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えれ与えられます。  マタイ6:33
 私たちの主イエスは、マタイ6章では「見てもらおうとして」善行を行わないように教えられます。
 当時、ファリサイ派の人々、律法学者たちは、自分たちの敬虔さや、熱心さを人々に誇るような生活をしていたのでしょう。それは、まさしく、律法の限界、人間は行いによっては、神を知るに至る事は出来ないと証明しているといえます。
 旧約聖書の人々でも、隠れたところにおられ、隠れたことを見ておられる父なる神に生きるのを知ることが出来なかったのです。
 しかし、神は、私たちの主イエス・キリストにより、私たちに対する憐れみを示されました。そして、神は私たちに信仰により、永遠の命を得させて下さいました。
 私たちは、今、父なる神と主イエス・キリストを信じる者、信頼する者です。ですから、私たちにとりまして、善を行うのは、父がまず御子によって、滅びから命に贖い出し、愛して下さったからです。私たちの業は、人の評価を得る為ではありません。キリストに喜んでいただきたいとの願いによるのです。
 私たちは、洗礼によって、神の国に入らせていただいたのです。私たちは互いに神の国の民です。神が私たちを守っておられます。イエスは、その事を「求めよ」と言われるのです。神があなたを祝しておられるのを見い出すことが出来るよう求めましょう。同時に、神があなたを許され、喜ばれていることも「求めなさい」と言われます。神はあなたを聖なる交わりに入れていてくださいます。御言葉と祈りの生活を大切にしましょう。