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信仰による義

「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を贖う供え物となさいました。」ローマ3勝25節
なんとありがたい御言葉でしょう。何度聞いても、神の憐れみの深さに感謝せずにはおられません。預言者イザヤが言うように「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」(イザヤ53:6)のでした。
 旧約時代、神はイスラエル人が罪を犯した場合、羊や山羊などを祭司が屠り、血を祭壇の角に塗るなら、罪の許しとされました。しかし、「それは人々の良心をきよめることはできませんでした。」とあります。その儀式のあとにイスラエルは絶えず、神に背き、罪を犯し、高ぶる道に陥りました。わたしたちのキリストに対してもしかり、でした。聖書は、それらの儀式は、「キリストが十字架で果される贖いを指示していたのである」と言っています。
 皆さん、私たちの国にも、人が清める方法や願いが聞かれる儀式が山ほど示されていますが、私たちの父なる神が、求められる道は一つです。それは信仰です。罪の許しはキリストの業いよるのです。
 以前の私たちの義は、神に逆らわせ、キリストを十字架につけるものでした。そして自分を義とさせました。神は、それほど自分を義と思い、神を否定する全世界の為に主イエス・キリストを罪の許し、義として下さいました。心から信じましょう。
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