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我に帰って

 そこで、彼は我に返って言った。「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 ルカ15:17~19
 これは、主イエスが教えられたたとえです。
 この人は、父親のところでは、自分の自由が全くないと思い、父の財産を分けてもらい、家を飛び出したのであった。彼は、自分がしたいと思うことに夢中になっていた。それで自分に満足していた。成功した気分であったに違いない。
 イエス様は、このような人生の間は、決して我に帰る、「自分とは何か」と問うことは、人はしないものであるとご存知です。
 ところが、人の人生には、幸いなことに、転機が訪れるのである。それは、この人にとりまして、幸せとは正反対の、まったくの不幸として「滅びる!」と思われる事態として訪れました。それは財産を使い果たした時、ひどい飢饉に襲われたのでした。  
 しかし、これが、この人を「我に返す」転機となったと主は言われる。これは、この人が、孤独と暗黒の中で、福音を耳にしたのである。「自分とは何者であるか」を聞いたのです。そして、「父が、自分のことを全部許して、帰りを待っておられる」と、彼は聞いたのである。(これこそ、主イエス様が、世に来て、成し遂げられた救いにほかなりません。)
 主イエスは、あなたが、あなたの父なる神の家に居るべき人であると言われます。
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