筋肉痛がぁ

2014.05.06 04:23|時々日記(時々更新)
5月4日は教会の、お掃除を行いました。
椅子や、テーブルをかたずけてワックスがけ・・
礼拝堂の椅子はおもくて(>_<)
いつもはメンズが頑張ってくれていたのですが、今回はみんな仕事で女子頑張るの図でした。
おけげで今日は筋肉痛が~

みんなの力で、教会はとてもきれいになりました。
皆さん見に来て下さいね。

教会の春

2014.05.04 18:27|時々日記(時々更新)
今年もやってきました、燕さんたち。更に、今年は2か所も巣を作ってます。

しかし、先日雀たちの攻撃にあってしまいました。
どうなるツバメたち、もう帰って来ないのでしょうか。又報告したいと思います。




春です、教会にも花がたくさん咲きました。子供たちは、日曜日のお昼過ぎになると花に水をあげると張り切ってます。本当は水遊びがしたいのかも・…































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信仰による義

「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を贖う供え物となさいました。」ローマ3勝25節
なんとありがたい御言葉でしょう。何度聞いても、神の憐れみの深さに感謝せずにはおられません。預言者イザヤが言うように「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」(イザヤ53:6)のでした。
 旧約時代、神はイスラエル人が罪を犯した場合、羊や山羊などを祭司が屠り、血を祭壇の角に塗るなら、罪の許しとされました。しかし、「それは人々の良心をきよめることはできませんでした。」とあります。その儀式のあとにイスラエルは絶えず、神に背き、罪を犯し、高ぶる道に陥りました。わたしたちのキリストに対してもしかり、でした。聖書は、それらの儀式は、「キリストが十字架で果される贖いを指示していたのである」と言っています。
 皆さん、私たちの国にも、人が清める方法や願いが聞かれる儀式が山ほど示されていますが、私たちの父なる神が、求められる道は一つです。それは信仰です。罪の許しはキリストの業いよるのです。
 以前の私たちの義は、神に逆らわせ、キリストを十字架につけるものでした。そして自分を義とさせました。神は、それほど自分を義と思い、神を否定する全世界の為に主イエス・キリストを罪の許し、義として下さいました。心から信じましょう。