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2013.09.29 17:29|イベント案内
9/29 今日は教会で映画鑑賞会を開きました。
「レ.ミゼラブル」内容は皆さんご存知でしょうか、、ヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆したロマン主義フランス文学の大河小説です。
映画が無理な方は、本を読むのもいいかもしれません。
次回、また別の映画の鑑賞会も予定しています。
決定したら、ブログに書きますので、皆さんぜひ教会までいらしてくださいね。

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2013.09.29 17:08|イベント案内
http://jp.mg3.mail.yahoo.co.jp/ya/download?mid=1_30648_AJjsU3wAAMQeUkfeQwOMymqDlts&pid=2&fid=Inbox&inline=1

契約のしるし

 「そのとき、主はヨシュアに、火打石の刃物を作り
  もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになった。」
                   (ヨシュア5章1節)
 神は、イスラエル人に、ヨルダン川を渡らせ、彼らの先祖アブラハムに与えると言われたカナンの土地に入らせました。(創17章8節)
 そのとき、神は、民に割礼を命じられたのでした。この割礼は、神がアブラハムと契約を結ばれた時、契約のしるし(創17:11)として、受けさせられたものです。その契約とは、「神がアブラハムを多くの国民の父とする。カナンのすべての土地を所有地として与える」でした。(創17:4,7,8)
 神は、モーセによって、出エジプトさせたイスラエル人とも、同じ契約を結んで下さいました。けれども、約束の地カナンを偵察した12人のうち10人が、神とモーセに反逆して、「自分たちが滅ぼされる」と民を説得してしまったのでした。民はエジプトへ戻ろうとしたのです。(民14章)これは、民が、神を軽んじ、締結した契約をも破棄してしまったと云う事です。その為に、当時20歳以上だった民たちには、神の契約を不義とした結果として、神は「カナンを見させない」と誓われたのでした。それで40年間、荒れ野を放浪させられ、その人々は全員、死にました。
 しかし、神は、この民を約束の地に入らせ、エリコを攻撃させられる前に、荒れ野で生まれた男子に割礼を施させるのです。それは、「神が、再びイスラエル人と契約を結んで下さる」との良い知らせ!今「神が、再びイスラエルを宝の民として下さり、カナンの土地を所有させて下さる」契約を締結して下さるという事です。
 皆さん、この人々も荒れ野で、40年間、背いたのでした。ですからこの割礼は、全く神の恵み、許しによる契約のしるしであったのです。

十字架は神のご計画

2013.09.01 15:43|聖書のメッセージ
 このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなた方に引き渡されたのですが、あなた方は律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。      使徒言行録2章23節
 さて、ペトロはイエス・キリストが十字架につけられ、殺される事が神のお定めになった計画であると、説教しました。ついに、聖霊がイエスさまの御業と教えに、弟子たちの目を開かれたのでした。ペトロたちはずっとイエスさまが、地上の主となられる方と期待し、その時自分たちも栄光に与りたいと願って、イエス様に従ったのでした。しかし、今、聖霊は、神が、わたしたち人間の罪の赦しの為に、限りない愛によって、ご計画して下さっていた御業であると示されたのです。
 ところが、神が、人々の罪の赦しの為に定められた、イエス様に対して、人々は、強い妬みと憎しみによる殺意を持って、十字架刑を実行したというのです。わたしたちは人間は、自分の利益を守る為には、どんな罪を犯すか分からないと言えるのではありませんか。人は、自分の義を守るためには、人を否定してしまいます。
 ペトロは、聖霊によって詩篇16篇8節~11節は「ダビデ王が、イエスさまについて預言した」と言いました。イエスさまは、ご自分の為の裁判、むち打ち、そして十字架に示された指導者たち・群衆たちの嘲笑、暴挙、苦しみの中で、このように思っておられたというのです。なんという平安、なんという信頼、なんという喜び、なんという交わりでしょうか。なんという自由、そして、なんという愛でしょうか。
 イエス様には、ご自分の苦しみの中で、父が、信じる者を贖われる幸が見えておられた、既に喜んでおられたと言えます。神がわたしたちを救いだして、神の子供として下さるご意志こそ、わたしたちの望み、救いと言えるでしょう。